Il mio Padrone.








「茶だ」

「ん?ああ、ありがとう。ジャムはやっぱりアプリコット?」

「不満かぁ?」

「ううん、全然。スクアーロが出してくれるのはいつも程よい甘さだから、好き」

「……今更褒めても、晩飯前だからこれ以上は何も出ねえぞぉ」

「あはは」

ソーサーの上へと無造作に添えられた銀色のティースプーンを手に取りながら、ソファに背を預けていた少年はふと瞼を上げた。

薄暗い室内に、白のレースカーテンで申し訳程度遮られる日差しが差し込む。

「……今日も、晴れてたみたいだね」

「嫌なら閉めるが」

「嫌じゃないんだけど、さ。少し……眩しいかな」

厚手のカーテンを引き、部屋に光を呼び込んだ張本人――スクアーロが少年の意向を読み取ろうと目を細める。

太陽が漸く一日の仕事を終え、一抹の瞬きを地平線に沈めようとする夕刻の眩さは、少年にとって、やはり少々手ごわいものらしい。

「弱点というほどのものではなくなっているけれど……やっぱりまだ、一族の性には縛られてるみたいだ」

この身体は。と口端をわざと吊り上げ、皮肉めいた微笑を貼り付ける少年の様に、スクアーロは投げやりなほど乱雑にカーテンを放り出して日光を遮った。

ジャッと、耳障りな、カーテンがレールを滑る音色が室内へ波紋を広げる。

ぴたりと両端が合わさり、閉じきったカーテンに見向きもせず、スクアーロは一歩を踏み出した。

音もなく。

気配も漂わせず。

「不便でたまらないよ」

「お前は」

ふ、と己を鼻で笑う少年に向かって背後から近付いたスクアーロは、ソファ越しに手を伸ばし。

「お前は、お前の望むように生きればいい」

折り目正しく一礼を捧げながら、恭しくティースプーンを握る指先を手に取った。

Il mio Padrone.

屈みこみ、少年の耳元まで顔を下げたスクアーロが、手の甲に口付けながら秘め事のように囁きかける。

横目で鋭く柔く、少年を盗み見ながら。

さらりと、腰まで伸びた銀色の髪が肩を流れた。

黒のスーツの上下にわざと色を外した灰色のネクタイ。

ワイシャツの白がほのかに光っているのではとすら思える、洗練された出で立ち。

「……礼装やらスーツやらは、やっぱりスクアーロの方が似合ってるなぁ」

そういうところが憎らしい。

ソファの表皮を滑る銀髪を一房手にとり、おかえし、とばかりに口付ける少年の所作を見やって、スクアーロはゆっくりと笑みを敷いた。

「少し、離れる。何かあったらすぐに呼べ」

「おなかすいたんだけど」

「用意してくるっつってんだ。十分で済ませる」

「わかった。いってらっしゃいスクアーロ」

言いながらグイと手の中の髪を引き寄せた少年は、戯れに覗かせた歯を、露わになったスクアーロの首筋へと添えて。

「っ!」

「十分、だけだからね?」

長く伸びた犬歯を突きたて、ぷつりと皮膚を突き破り、湧いた赤の水滴をちろりと舐め取った。

戒めのように。

楔のように。

「御意」

名残を惜しんでいるのか、再度掌の中の白い手に唇を寄せたスクアーロは、柔らかく、少年の指の付け根に歯を立てた。

肌を突き抜けるほどの強さではないが、薄っすらと歯型が残る程度。

そうして跡を残せたことを確認するやいなや、音もなく手をソーサーの方へと戻し、身を翻す。

氷の上を歩くように、すっと扉へと至った身体は瞬く間に部屋から外の世界へと出ていってしまって。

「さて……何分で片付けてくるかな」

残された少年――綱吉は、湧き上がる笑みを密やかに零しながら、カップに注がれた紅茶で喉を潤し始めていた。







「で?今度はどこのどいつが相手だぁ!?」

背後の聳え立つ荘厳な屋敷を振り仰ぐこともなく、スクアーロは高らかに吼えていた。

守るべきものを改めて確認する必要などないからだ。

いつだって変わらず、己の全てを捧げると誓った少年は最上階のあの部屋にいる。

薄暗くも仄かな優しいランプの灯りに彩られた、夜の貴族が君臨するための、あの部屋に。

「貴様などに名乗る名などない!この……化け物どもが!」

血気盛んな、見知らぬ青年の声が轟く。

が、姿は見えない。

主人である少年、綱吉の意向によって、赤い霧をたちこませてあるからだ。

侵入者対策と日光の遮断を兼ねている、と綱吉は言い張っているが、こうしてよくよくハンターどもに狙われるのはこの怪しすぎる霧にも一因があるだろうとスクアーロは頭痛を覚えている。

不気味な、血の霧が立ち込める吸血城、だったか。

近隣の村の人間どもが恐れ慄くが故に、綱吉の退治をハンターに依頼しているというのは想像するに易い。

……血の霧だなどと。

貴重なエネルギー源をむざむざ霧にして放出し続けるほど、綱吉は豪快でも豪胆でもない。

むしろ貧乏性が祟る方で……。

などと腕を組み、頭を悩ませ始めたスクアーロをよそに、ハンターなのであろう青年がなにやら動きを見せ始めた。

キュポン、と瓶のふたを取り去るような音色が鼓膜を微かに揺らす。

「…って、冷てぇ!」

「そこか化け物!」

なにやら液体をばら撒いたようだ。

顔面に直撃したそれは、ポタリポタリと髪を伝い、首を伝い、服に染みを広げていく。

「法王教会が認可した正当な聖水だ!表面だけでなく臓腑の奥底まで焼け爛れるだろう!」

いや、焼け爛れるだろう、って…。

さっき言ったではないか。

『冷たい』と。

「聖別された水、か。んなもん使うのは洗礼と聖餐式くらいなもんだろうと思ってたぜぇ…!」

爛れてたまるか。

そんな、どこの誰とも知らないおっさん共が祈りを捧げた水なんぞで。

「…!つうか服がぬれちまっただろうがぁ!着替える時間なんざ与えられねえんだぞぉ俺はぁ!」

頬を伝う濡れた感触にハタと気付いたスクアーロは、先刻から声を張り上げ、自分の位置を知らせてくる間抜けへと向かって体勢を整えた。

左手にくくりつけた白刃と、右手の指の又で握る三本のナイフを掲げ、引き寄せ、臨戦体勢へと。

「大体、貴様みたいな小僧なんかと、ちんたら喋ってる暇はねえんだよ!」

言うやいなや身体を縮め、一気に飛び出したスクアーロの目にはすでに相手の姿が捉えられている。

何十、何百、何千と霧の中挑んでくる人間をなぎ払ってきたスクアーロには、振りかぶった白刃で霧を掃うまでもなく、相手を斬り伏せるのは造作もない所作であった。








「で、そのざま?あはははは、おっかしい!」

「………」

着替える間も与えられない。

乾かす間も与えられない。

先ほど侵入者であるハンターに告げた言葉に偽りはなかった。

何せ主人は腹が減っているという。

衣服を整えてから相対したいという意識は優先されるべきではあるが、主人の願望より優先順位の高いものなど……存在し得ないのだから。

「でもまあ、水でよかったんじゃない?染みにはなんないでしょ」

「…だが、お前は触れられないぞぉ」

「そうだねえ。その人も、そんな水持ってるなら、俺にかければよかったのにねえ」

空になったカップの淵をなぞりながら唇を弧に描く綱吉は尚もクスクスと笑い続ける。

「俺にならまだしも……スクアーロは人間なんだから。効きやしないのに、ねえ」

ふと視線を上げた綱吉の手が、傍近くに立つスクアーロの頬へと伸びる。

が、触れた途端何かに弾かれるように手を浮かせた。

「痛っ」

「っ!触るなっつっただろうが!まだ微かに濡れて……!」

「あー……なるほど。焼け爛れる、ね」

ほら、と返した掌をスクアーロに見せ付ける綱吉はおかしさを隠しきれないといった様子で微笑み続けていた。

白い指先が人差し指と中指だけ、火傷したように赤く色づいている。

「…洗い流してくるまで、俺には触れるな」

「えーやだよ。おなかすいたって言ってるじゃん」

「お前なぁ…」

どうしろと言うのだ、と呆れ半分困惑半分で目を眇めたスクアーロを振り仰ぎながら、綱吉は悠々と足を組んだ。

考え込む間に着替えさせてくれればいいものを、と眉間に皺を寄せるスクアーロを放置して。

薄く開いた窓から入りこむ風は夜の気配を伴っている。

ささやかな微風に晒されて、徐々にではあるが気化し始めているから、顔面の聖水は方っておいてももうすぐ消えてなくなるだろう。

問題は……しとどに濡れた上着か。

唇に焼けた指先を押し当てしばし思案するような姿勢のまま、綱吉は首を捻っていた。

かと思えば、パッと手を開き、一つ手拍子を姿に、スクアーロは言い知れぬ嫌な予感を覚えて。



「脱げばいい!」



「……はぁ!?」



放たれた一言に両肩が跳ね上がった。



「ちょっ!おまっ!やめろぉ!」

「脱げばいいじゃん。シャツの中までは濡れてないんでしょ。俺が許してんだから問題ないって!むしろ俺がそうしろって言ってんだから、ここは脱ぐべきでしょスクアーロ!」

「う゛お゛ぉい!また焼けるぞぉ!触るな触るなぁ!」

「だったら自分で脱いでくれればいいじゃんかぁ!手間かけさせるなよー!」

ボタンを跳ね飛ばす勢いで人の上着を左右に、外側に引っ張る綱吉の手を握り、静止を呼びかけるスクアーロの頬は若干赤い。

脱げだなどと、なんということを言い出すのか。

「俺にストリップの趣味はない!」

「一枚一枚焦らして脱げだなんて言ってないでしょ!ばっと脱いでぱっと捧げろ俺にその体をー!」

「危ない発言してんじゃねえぇ!」

噛みつく勢いでもって、本気で服を破りにかかった綱吉を見遣り、スクアーロは沸き立つ焦燥感をおさえきれなかった。

やるといわなければ……やられる。

わかった!わかったから離せぇ!と歯を食いしばり、上気する頬の熱をやり過ごしながらスクアーロが要求を呑むそぶりを見せれば…案の定、綱吉の手はパッと離れて。

「はい。じゃあ脱いで」

「……ありえねえ」

満面の笑みで手拍子を打つ。

囃し立てられて脱ぐだなどと……やはりストリップではないか……。

だがしかし、主人の期待を裏切るわけにもいかない。

頭脳をフル回転させ、唸りすら上げながら己を納得させたスクアーロはひとつ息を吐いた。

そしてそのまま、のろのろと腕を動かし、嫌がる指先を叱咤して固く閉じたボタンを外し始める。

やんややんやと隣ではしゃぎ笑う綱吉にげんなりと半眼で睨みを利かせながら、右腕を引き抜き、左腕を引き抜き……。

「おらよ」

「……えー?上着だけー?」

「お前……どこまで脱がせる気だぁ!」

「上は全部でしょう。ワイシャツにもちょっと滲みてるかもしれないし。念のために、ね!」

俺のために、ね?

…なんて小首を傾げられれば、従わないわけにはいかないわけだ。

あーもうめんどくせぇ…とぼやく言葉は口には上らせない。

上から順に解き放たれるボタンによって、あらわになる男の素肌など……誰が見たいというのだ。

「俺が見たいよ。安心して。露出狂だなんて思ってないから」

「心を読むなぁ!」

バッと勢いよく脱ぎ捨て、放り投げながら綱吉へと向き直る。

「これで満足かぁ!?」

「うん」

どうだぁ!と見せつけるように、上半身裸のスクアーロは綱吉へと上体を傾けた。

すかさず、常人よりもひときわ白い腕がさらりと流れた銀髪を手に取り、引き寄せる。

…出会った頃、これをやるとすぐさま怒声や罵声が響いたものだが、いまやすっかり身に馴染んだのか、されるがままのスクアーロに綱吉は満足げに目元を緩めた。

力の流れに任せて綱吉の身体に覆いかぶさるように倒れこんだスクアーロは、首を傾け、綱吉が顔をうずめやすいよう、肩ごしに髪をかき上げる。

「食え」

「ありがと」

やけに熱っぽい吐息がスクアーロの首筋を掠めた。



吸血一族に生まれた綱吉に見初められてから、夜毎に繰り広げられる本能の戯れ。

贄として定められた人間に起こる性。

血を吸われ、交換に唾液を注ぎこまれると誘発され、掻き立てられる欲求。

……柔肌に触れる度、触れられる度、抜け出せなくなる泥沼に身も心も沈みゆく。

まるで媚薬の塊が命を持っているようだ、とスクアーロは毎度、綱吉を組み敷きながら片目を眇める。



「いただき、まぁす」



あは、と小さく笑い、囁きかける声の甘さに思わずといった様子でスクアーロの瞼が落ちる。

食事の開始を告げる言の葉が、愛を囁かれているように錯覚するなどと……と、心の奥底で己を嗤いながら、スクアーロは臓腑の下から湧き上がる欲求に身を任せることにした。






『もっと俺に、のめりこめばいいよ。スクアーロ。そうすれば……』







鋭く尖る犬歯をスクアーロへと突き当てながら、夜の貴族然とした妖艶な笑みを広げる綱吉の、隠された荒々しい愛欲が暴かれるのは……そう遠くはない未来。







Il mio Padrone.















私はどれだけツナを人外にすれば気が済むのでしょう…。嗤って許してください…。
ファイルを漁り、ネタを探し、頭を捻り捻り捻りまくってやっと搾り出した苦肉の作(誤字にあらず)なので、若干色々乱れております。
自覚済み!
嗤ってゆr(以下略)

お付き合いくださりありがとうございました!
スクアーロに噛み付くツナって萌えませんか?(最後に何を…)